日本企業の出向社員でしたが、中途退職をして、カナダに在住年金生活者をしております。


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入社2年目

入社1年目は、博士論文のお手伝いと時計作りに終わった。N課長代理はアメリカの企業の視察と観光を兼ねて出長したのもその終わり頃であった。課員一同沢山の写真を見て騒いだ。

2年目になった春、W課長は東京二出来た基礎研究をする新しい研究所に、学研肌の他の研究員と転勤した。

その頃、隣りの電機事業部から ”電力負荷集中制御装置” なるものの開発依頼が来た。元々、関西電力から依頼されたもので、その下請けである。フランスの電力会社が実際に使用している端末のサンプル2台が提供されたが、本体に関する情報は何にもなっかった。同期入社のAさんと共に担当することになった。1週間位考えを巡らせ設計に入った。当時江崎ダイオードが発明され騒がれていたころで、まだ半導体のデジタル応用の時期ではなっかった。したがって、マイクロスイッチ、リレー、モーター、ロータリスイッチ などを使った。
半年ぐらいかけて完成させて電機事業部に納入した。関西電力でラインに接続して実験されうまくいったとの報告を聞いた。

労働組合の青婦委員をしていた先輩から持ち回りだと言われて,青婦委員をしたのもその時だ。その頃から安保闘争が盛んになった。その頃の青婦委員はデモの先頭になった。御堂筋でフランスデモをした思い出もある。安保が今の沖縄の基地問題に関係するなどとは夢にも思わなっかった。

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# by nakamuratoronto | 2019-02-19 06:02 | 私の履歴書

F35 戦闘機

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あなたはどちらを選びますか?

私は、認可保育所を選びます。

日本の防衛のために、戦闘機を買わなくてもよいのですか?

さて、皆さんどう思いますか?


# by nakamuratoronto | 2019-02-16 06:28 | 年金生活者

特許出願


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A部長の振り子の電子回路は、時計の他にモータにも応用され、I、課のTさん、Nさんがしさくしていた。彼らのリポートも、A部長の論文に組み入れられていた。私たちは、このモータをAモータと呼んでいた。直流電源で動く電子モータであった、

先にも、書いたが, A部長はこの回路を特許出願していた。特許は出願しても簡単に登録されない。必ずといてっも過言はなく認めることはできないと理屈を言ってくるのだ。
御多分に漏れずにA部長にも来た。又、Sさんと一緒に呼ばれて反論するように命じられた。2回ぐらい反論をしたように思うが、いつも赤鉛筆で添削されるのである。話しながらそのスピードで書くので、最初の字は読めるが、直ぐに波線になり、最後は棒線になるので、話をよく聞きおぼえておかなければならない。”牽強付会”である。と文章が終わったのであったが、字は棒線であった。この四字熟語を聞いたときはSさんも私もチンプンカンプンであった。
国語辞典を調べて納得したのであるが、特許の反論は、自信と、威厳をもって、きっぱりと、断定的にするものであることを教えられた。勿論、特許は登録された。めでたしめでたし。

# by nakamuratoronto | 2019-02-15 07:19 | 私の履歴書

牽強付会

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今日は、もう一人の博士論文を書くA部長の話である。
A部長は、表題の”牽強付会”と言う四字熟語を教えてくれた人である。

W課長の仕事も終わりかけていた頃に、A部長にS先輩とともに呼ばれた。I課のK先輩がいてバネの先にマグネットが付けられ振り子のように動いていた。この模型はK先輩が作ったようでトランジスター1個と乾電池で動いていた。

A部長はを、この原理を応用した時計を開発を命じた。この原理はA部長が特許出願をしていた。
S先輩はあまり関心がなくほとんどの事は私が進めた。まず、当時、市販されていた服部時計店の柱時計とシチズン時計のテンプの壁掛け時計を入手、これらは接点を利用してコイルに電流を流し、マグネットのついたテンプ、振り子を駆動するものである。

私がしたことは、A部長の原理を応用して接点を、トランジスターに置き換えたことで、後は効率を高める試作実験を繰り返し、乾電池1個で1年動くようにした。私は知らなかったのだが、同じ頃、子会社のN時計も服部時計店と同様のものを製造販売をしていた。ある日突然、そこの技術部長Sさんが名古屋から訪ねてこられ、時計を改造してあげた。何回かの施策の後、その時計はトランジスター時計としてNショップの店頭に並んだ。入社して初めて商品を開発した。
早速買って我が家の柱にかけた。両親はノーコメントだった。

接点は寿命があり、長持ちしない弱点があった。我が家のトランジスター時計は6年位動いていたように思う。最後は乾電池の漏液でホルダー画駄目になったので捨てた。

この開発を細かく報告書に書いて提出するように言われた。A部長の学位論文にそのまま活用例として、記載されていたのには驚いた。A部長はドグ(ドクターという意味)と呼ばれるようになった。

この後、A部長にまつわる話が色々あります。


# by nakamuratoronto | 2019-02-14 01:58 | 私の履歴書

W課長の研究のアシスタント

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W課長の研究のトランジスターの暗電流を測定するのが、研究所での最初の仕事であった。その頃はトランジスターラジオが出回りだした頃であったう。フイリップス社との合弁会社が半導体を製造していた。何種類かの型を100本ぐらいの単位で取り寄せ電圧と温度をパラメータに暗電流を測定した。

環境試験室にきちんとした恒温槽があったが、何せ数が多いので原始的な恒温槽を使った。低温は、象印マホービン式のおひつに、氷と塩水を入れて0度に冷やした。当時の半導体は、0度以下では効率が悪くあまり使用されなっかった。木箱に電球と小型の扇風機をいれて40度に温めた。一度に多くの測定ができるように器具を作った。

実験データをまとめ線グラフにして提出したが、グラフを横から目線合わせてスムーズでないと小言を貰った。翌日学生時代に使っていた雲形定規をもってきてグラフを書き直した。W課長は事のほかきっちりとした人であり、帰るときは机の上には何も置いていなかった。

その後はカシオの手動の機械式計算機を何日も回していた。その頃はまだ電子計算機などはなっかった。私も少しではあるが手伝った。

W課長は、トランジスターの暗電流の実験式を導き出していたのだった。これで論文を書き、博士号を取られた。この頃、博士論文を書くのを仕事にしていた人が多くいた。結構な時代であった。 


# by nakamuratoronto | 2019-02-13 05:25 | 私の履歴書

X X 研究所に入る

今年の夏、誕生日が来れば、傘寿になる。
ここまで生きてきたので、いつお迎えが来てもいいころである。
ここらで、私の人生を振り返ることとした。
まずは、”私の履歴書” と名ずけ書く。

昭和33年の春に、大阪の電機メーカーに入社して、新入社員研修の後 X X 研究所に配属となった。
電機部O課へと辞令にあったが、実際にはX課であった。

X課は、変った課であった。。
W課長は真面目一本やりの人で、朝から夕方まで机に向かい博士論文を書くのが仕事であった。
冗談を聴くと顔を真っ赤にして笑っていた。O大出である

正式な役職名は忘れた。N課長代理だと思ているがこの人は先の大戦で、シベリア抑留の帰還者でO大学の研究所から途中入社として迎えられた人である。温厚な人で話好きで、シベリア抑留の話を聞いたものである。仕事が何か判らない人だった。4年位して課長になって管理職が仕事となった。

先輩にO大学出のSさんがいた. いい人で討論になるとたいへん剝きになる。この人はいまコロラド スプリングスにアメリカ人の奥さんと暮らしておられ、毎年、日本と行き来をしている結構な身分の人である。

もう一人T大でのKさんがいた。接点の研究をしていたが、その後はどうであったかはあまりしらない。この人も顔がすぐにあかくなる。

私と同期に入ったAさんは、O大出である。先の大戦中満洲で幼少期を過ごし、戦後引き揚げたため大学を卒業するのが遅れたそうである。A さんは長い間、いろいろ関りがあった。

もう一人O市大出のTさんがいた。電子回路の専門家で真空管式の計数装置を作っていた。温厚な人であった。

私は、M工業高校を卒業入社した。どうして研究所に配属になったかは、後で判ったことは、入社問題の電気部門の問題を、W課長が、出題した事が判った。その問題が、A3紙の隅に、”交流を三つの方法で表せ” というものであった。これは電磁事象と言う教科書の表紙の見開きに載っているものであった。幸運なことにこれをよく覚えていて、ほぼ100%丁寧にコピーしたかのように書いて提出した。多分採点を担当したのはW課長だったと思う。O課に配属されたにもかかわらず、X課に移ったのはW課長がそうしたものと思っている。そんなことから入社しての初仕事は、W課長の研究テーマである “トランジスターの暗電流“ の実験データ集めであった。

# by nakamuratoronto | 2019-02-12 06:11 | 私の履歴書

トロントシンフォニー

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今年2回目のトロントシンフォニーを聴いてきた。
ワグナーのワルキューレ
この歌劇は初めてであった。

この夜は寒く、マイナス18度であった。
体感温度はマイナス25度以上だったように思われた。

# by nakamuratoronto | 2019-02-04 04:59 | 音楽鑑賞

冬が本格的になってきた。

きょう、1月17日は、ハイがマイナス2度、ロウがマイナス7度である。

予報によれば、この週末から冬が本格的になるようである。

土曜日はマイナス9度とマイナス16度

日曜日はマイナス14度とマイナス23度

月曜日はマイナス13度とマイナス16度だ。

こんな時は家に引き籠もることにする。

リタイア生活だ。

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稀勢の里引退した。

頑張りました。

大怪我を推して優勝を果たした。

結果的には、その無理が尾を引いてしまった。

大相撲に怪我が多過ぎる。

相撲協会、親方衆の 相撲の在り方に反省と、勉強を促したい。

# by nakamuratoronto | 2019-01-18 06:08 | 海外生活

トロントシンフォニー

今年初のシンフォニーを聴いてきた。

シベリウスの交響曲第2番である。
リウスの「交響曲第2番」は、1901年に作曲されました。

シベリウスの中では最も人気のある交響曲でもあります。
シベリウスの初期の交響曲(第1番、第2番)は、当時の流行っていたチャイコフスキーやワーグナーの影響を受けていると言われています。
そのため大規模で後期ロマン派的な特徴を持っています。

一方、「交響曲第2番」は民族的な要素が強いものの自由な形で作曲され始めており、それ以降の交響曲の橋渡しのような作品だとも評価されています。



シベリウスが国民に捧げたフインランダです。





# by nakamuratoronto | 2019-01-15 06:57 | 音楽鑑賞

稀勢の里

いよいよ、明日から大相撲春場所が始まる。

何と言っても、稀勢の里がどうなるかである。

相撲界、私の個人的願望は、なんとかして生き残ってほしい。

10勝2敗が欲しい。

もし、初日、二日目と黒星となれば、きっぱりと引退をすべきである。

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# by nakamuratoronto | 2019-01-13 09:04 | 大相撲

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